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■ 借金地獄からの生還

第5章−借金脱出

潮の香りがする、海から少し離れたこの街にも時折西風が運んでくれる初夏の兆し、この街並みの屋根の上に入道雲が見える日も遠くは無さそうだ。
任意整理を依頼してから3ヶ月が経ったが、自分自身が直接行う事が殆んど無い事が多少驚きだ。
定期的に現在の進行状況や、必要書類等の連絡が司法書士事務所の方から来るだけで、それ以外は何も無い。
依頼をしてからの2日間位は、金融業者からのわざとらしく嫌味な確認の電話は数件きたものの、それ以外は全くと言って良い程、どの金融業者からも音沙汰無しだ。
任意整理を依頼した当初は、債権者側からの様々な脅しや、嫌がらせ、はたまた腹癒せによる暴力事件、最悪は殺人事件にまで発展してしまうのではと勝手な誇大妄想を膨らまし、心の何処かで躊躇していた面は多少なりともあったが、それもただの取り越し苦労に過ぎなかった。
任意整理の依頼をして一番助かった事は、やはり『精神的苦痛からの開放』を置いては他に無いだろう。
今まで淀み濁りグレーがかっていた街の景色、どんな嬉しい事があっても心から喜べず、どんな楽しい事があっても、一瞬のうちにまた現実の苦悩の日々に引き戻されてしまう。
自宅の電話や携帯電話の呼出音に怯え、玄関ドアをノックする音や玄関チャイムにも怯え、そのうち鳴りもしない電話の呼出音が聞こえた様な気がしたり、真夜中に玄関のドアをノックする音やチャイムの音が聞こえて目が覚めたりと、幻聴まで聞こえる様になった時期もあった。
家から外出する際に玄関の外に借金取りが待ち構えているのではないかと、警察に不審者通報をして助けを求め家まで来てもらった事や。
家に帰宅の際には、近所の交番に寄り、やはり不審者通報をして自宅まで同行してもらった事なども数回あった。
絶対にもう二度と戻りたくない日々である。
でも今は、そんな苦悩の日々すら懐かしく思える時もある。
もうひとつ任意整理を行って良かった事がある。
それは経済的余裕である。
債務整理をしたのだから当たり前なのかもしれないが、何よりも一番実感できる正直でストレートな反応である。
ここ数年の間、給料日の翌日又は翌々日には、山の様な返済と諸々の支払等で縮小最低限の生活費以外手元に残った例は無かった。
正確に言うと、最低限の生活費が手元に残った月すら、実際のところ殆んど無かったような気がする。
そこまでして支払をしても、利用している金融業者に延滞無く支払う事は不可能であった。

だが任意整理を依頼すると、手続が終了するまでの数ヶ月もの間、金融業者合意の下で、返済支払が全社とも完全に止まったのであった。
要するに私の場合、今までと比べて毎月20万円以上の金銭的余力差が生まれたのである。
部屋の窓から心地よい風がカーテンを舞わせながら入ってきた。
そういえば早いもので、この六畳一間の古い部屋にも住み始めて半年が経った。
今までは生きる為に、ただ寝て、ただ食べて、ただ時間を潰す空間でしかなかったが、いつの間にか最も落ち着ける自分の居場所になっていた。
最近では室内アンテナ式の小型テレビや折り畳みテーブル、パイプ製ハンガーラック等で、多少部屋らしくもなってきた。
仕事の方も6ヶ月の仮採用期間も無事終わり、来月初から正社員として勤務できる予定で、そうなると給料も今より若干増え、生活も多少楽になりそうである。
それから何の音沙汰も無く2ヶ月が過ぎ、夏も終わりを見せかけているある平日の昼休み、依頼をしている司法書士事務所から私の携帯電話に久しぶりに連絡が入った。
『全債権者との和解がこちら側の希望通りに取れましたので、書類を取りに来て頂きたいのですが、来所が無理な様であればこちらから郵送致しますけれども』
次の土曜日、私は書類を受け取りに司法書士事務所へ足を向けた。
司法書士の先生は、半年前に相談に行った時と変わらず、丁寧に和解書等の説明をしてくれた。
書類説明や雑談も含め1時間ぐらい居ただろうか。
最後に先生に深々と頭を下げ、事務所を後にした。
10月初旬、9月末までしつこく続いていた残暑も治まりを見せ、ここ数日は秋らしい爽やかな風が吹く、抜ける様な晴天の空の下。私は今、長いトンネルをようやく抜け眩しい日差しの道を歩いている。先程『任意整理』終結の合意和解書を受け取ってきたところだ。
これで私の債務整理は終わったが、それは同時に新たな人生の始まりでもある。
今年の冬は、あの山奥にある古い一軒宿の湯治場にまた行ってみようと思う。

おわり

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